真宗高田派:中興の祖と称えられる第十世:真慧上人は、寛正元年(1460年)伊勢に入られて、四日市大矢知町から小松中山寺を中心に布教活動をされました。その時、三日市辺りに第三世:顕智上人の仏を永く守ってる同朋があることをお知りになりました。
従来の四日講を中心とする近郷の者も真慧上人の化導を受け、その結果、近郷の多くの寺が真宗高田派に改宗しました。
筧口山 善照寺初代も天台宗から改宗し、現在に至っています。
真慧上人は、四日講を中心とした近郷七里(上野、高飛(石薬師)、竹野、平田、高宮(加佐登)、庄野、西冨田)の偉業を称え、七里講の名前を下賜され、御書を授けられました。後に、七里講は上田、山の原、津賀、弓削、岡田を加え12の里となっています。
真宗高田派本山:専修寺においても、七里講が中心となり如来堂・唐門の建設をおこなったとの記録が残っています。
現在、専修寺ではその功績が認められ、七里講専属の控えの間があり、2・5・11月以外の毎月15日には灯明料参りと言われる、四日講での灯明料を本山に持参し、賜春館(御対面の間)で御法主に対面を許され、お言葉をいただき、その日の御日中をお勤めされます。
今でも七里講の人々は本山警固と法主警備が需要な任務になっており、本山でのお七夜・大法要の際に使用される大提灯においても『七里講』の文字が見て取れ、その功績が称えられています。
七里講とは550年を超える永い歳月、今もなお毎月の行事を絶やすことなく、信仰に生き続けている稀有な存在なのです。